作品評論時に採用を迷う3つの要素


あなたは美術館で絵を鑑賞するときにタイトルを読むだろうか。
読んで作品への印象に影響を受けるとすれば、それはおかしくないだろうか?
作品はタイトルを除いて作品単体で評価すべきではないだろうか。
逆に、読まないとすれば、それもおかしくないだろうか?
そこにあるものには必ず意味がある、意味がないものは存在するはずがない、タイトルを含めて一つの作品として評価すべきではないだろうか。
いや、美術作品にはしばしば「無題」というタイトルの作品がある。
これは、やはり、作品単体を評価して欲しいということではないだろうか。
いやいや、それこそまさにタイトルが重要な好例である。
見ていなければ、作者の強い主張の一つを見逃すことになる…


タイトル一つ取ってもこれである。
いったい何をもって作品を評価すべきかは、よくよく考えてみると、極めて難しい問題である。
この文では、その問題について、問題の簡単な整理程度まで行ってみようと思う。

まず、要素としてどのようなものがあるかを順に上げてみる。

  • (0)作品本体
  • (1)鑑賞構造
  • (2)創作者の意図・創作経緯
  • (3)社会的状況

(0)は必須が自明なので考察対象から除く。
番号を0から始めているのも、タイトルが「3つの要素」となっているのも、それが理由である。

(3)は通常は除かれる場合が多いので説明は簡単に済ませる。
これを考慮して面白い評論になる場合もあるが、考慮しない方が偏向を避けられるとも言えるかも知れない。


問題は(1)と(2)である。

(1)は、次のようなもので構成されるものだと暫定的にであるが定義する。

  • (1-1)どのような順序で鑑賞するか
    • (1-1-1)(通常)作品の構成要素の提供順
    • (1-1-2)(特殊)すべての提供が終わった後などでの視聴者の鑑賞順
    • (1-1-3)(特殊)繰り返し視聴も考慮した視聴全体の回数・順番
  • (1-2)どのような視聴効果を持ちうる要素で構成されているか
  • (1-3)鑑賞メディア、鑑賞場所他(他にもいろいろありそうだが現時点ではここまでだけ注目する)

まず、(1)について、単純に考えると、これも除いて(0)のみで評論した方が、より正しく評論できそうであるが、これを除いて評論することが難しい場合もあるではないだろうか。

逆に(2)については、一見、(1)まで許すのであれば採用すべきであるかのようにも思えるが、実は、採用については慎重にならなければならないのではないだろうか。
例えば、インタビューで「これはこういう意図で入れたんですよ」などの言及があったとしても、それが記憶違いであったり、作品単体で見たときは全くそうは見えなかったりする場合もありうる。
作品内で登場人物が死んだときに、作者が「人の命は尊いものだという意味を込めました」と説明したか、「人の命に意味などないという意味を込めました」と説明したかで、同じ作品でも評価を変えるべきなのだろうか。

(1)の定義、それを採用する論拠など自分でも整理できてなく不十分なところもあるので、取りあえずは以上までの問題提起に止めておくが、この後の筆者の評論を読む際の参考にして頂けると幸いである。