劇場版「ラブライブ!」〜創発の物語〜

概要

結論から述べよう。
ラブライブ!」とは、極めてシンプルな企画要素から生まれ映画で創発的に完成した青春物語ではないだろうか。

具体的には、TV版の間では少なくとも表層的には迷走することもあったテーマ、分断されていた要素が、映画版によって遡及的に(=過去の評価を上書きしながら)一つのテーマにまとめ上げられるという見方ができる。即ち、映画版を見ることで、TV版を最初からまっすぐに一つのテーマを貫きつづけた物語であると見て取ることが可能になる。そして、そのように見て取ったTV版を無意識下で担保とすることで、省略・分断・現実とイメージの融合表現が多く「難解ではないが強引」な映画版を単体でも傑作であると感じることが可能になる。

また、もう一つの興味深い点として、この作品は、各所で指摘されているので詳細には述べないが、企画の成長と作品内でのキャラクターの成長が共鳴しているメタフィクション的な特徴を持つ。この特徴は、作品に関する印象がフィードバック的に変化するという効果をもたらす。


以上の創発性とメタフィクション性の二つの特徴は、同じものを見ても、作品に「はまりながら」視聴範囲を広げたり繰り返したりすることでさらにはまっていく場合と、「はまれないまま」見ることで全く共感できずに終わってしまう場合とをもたらす。

この特徴はまた、劇場版「ラブライブ!」に対する評論を書く際に、「物語・テーマがない、萌えのデータベース」と「物語・テーマがある、優れた作品」との正反対の結論を持ついずれの評論をも説得力を持って論理的に記述することを可能にしてしまい、基本は単純明解であるはずのこの映画の評価を困難とさせてしまう。

注意

言うまでもないが、本論は作品内部を深く分析したものであるため、所謂「ネタバレ」になりうることには注意されたい。
ただし、必要ない限りネタバレには十分注意するようにしており、また、この作品は、プロットを先に知ってしまうことで魅力が損なわれる影響が少ないという特徴を持つと思われるので、それを過度に心配する必要はないだろうとも補足しておく。

そもそも、例えばTV版を見ずにいきなりこの映画を「試し見」してしまうような行為は自然にTV版のネタバレになってしまうわけだが、実はそういう鑑賞にも耐えられる作品になっているのではないか、むしろ、「手っ取り早く楽しむ」ためには映画版、TV版の順で見ることもありうるのではないかというのが、本論が導く仮説の一つである。

TV版の成立経緯

この節で述べる成立経緯とは、「構成要素を分析し、このように成立したとモデル化すると作品を説明しうる」という程度のものである。
そのため、製作者の実際の創作過程の詳細とは異なっている可能性は当然ある、むしろまずは異なっているだろうが、それはここでの考察範囲に限定すれば問題ないとみなすことにする。
この考察方法自体が正しいのか、厳密に守れているかは別途検討が必要かもしれないが、取りあえず、ここで行うのは、あくまで、作品の構造についての考察であると表現してみておく。

まず、企画の根本から、追加される順に要素を並べてみる

  • (1)複数の少女を中心とする企画を考える
  • (2)題材は「何でもいいが」、今回はアイドルとする
  • (3)アイドル界の流れとして、「会いにいける」ような親しみ安さが好まれるようになってきている
  • (4)また、グループ化もすでに定番の流れであり、(1)と相性がよいので(2)の選択の妥当性が再確認される
  • (5)一方、近年、部活ものが定評を得てきている
  • (6)(3)(5)より「スクールアイドル」という概念を提唱する

 ここで主張したいのは、実際の経緯は多少異なっていたとしても、TV版1期の段階では、「スクールアイドル」というのが極めて単純な定義であり、「何でもいいが」という偶然といい加減さを含みながら企画という作品外から要請されて成立しただけのもので、「テーマ」「物語」と言えるようなものではなかった(としか思えない表現であった)ということである。

 本当にそうであるかは別途検討が必要そうだが、取りあえず直感のままに話を進めていく。


 ストーリーを進めるために追加が必要な要素は次の通りである。

  • (7)「何でもいいが」活動目標が必要なので、「廃校阻止」を目標とする

 ここで「何でもいいが」を強調したのには、多少は根拠がある。
 それは、その目標はTV版1期で達成されてしまい、にも関わらずその後も物語が続くことである。


 それゆえ、TV版2期に移るにあたって、((7)を除去した後で)要素の追加が必要となる。

  • (8)「何でもいいが」再び活動目標が必要なので、「ラブライブ優勝」を目標とする

 ここの「何でもいいが」には、更に強い根拠がある。
 それは、目標達成までの経緯(達成できた理由・達成の瞬間) の描写がばっさり省略されていることである。


 それはなぜか? それはここに来てようやく「主役」である「テーマ」が登場するからである。

  • (9)そろそろ締めなので「9人であることが大切だから」「μ'sを活動停止する」ことをテーマとしてみる

 …まあ素朴な印象として「ちょっとひどい」。
 ここまでを全体として見ると、方向性ぶれすぎ、テーマがない、物語がないと言われても仕方ないかもしれない。

 しかし弁護すると、思い切りよく(8)を捨てたおかげで、(9)については終盤中心であるとは言え、しっかり描かれていたと言える。
 そのおかげで、それまでの右往左往に目をつぶれば、良作としてTV2期は終了したと言う評価も十分可能ではある。

映画版の成立経緯

ここにおいても、企画成立の流れは単純であると見立てることができる。

  • (10)「映画だからなんとなく」外国に行かせてみる
  • (11)「映画だからなんとなく」謎の第三者を登場させてみる
  • (12)「映画だからなんとなく」大勢に踊らせてみる

ここの安易さ、そして他の要素との繋がりの悪さは、いろいろと突っ込みを受けてもやむを得ないところだと思う。例え、安易であるということは王道であるということでもあり、それをいかに料理するかだけが問題だと弁護しておいたとしても。

しかし…

そして物語の創発

 さて、ここからが劇場版「ラブライブ!」の面白いところである。
 なんと、映画では、(9)の「9人であることが大切だから」の前提を破らないまま、「μ'sを活動停止する」
ことを不要とすることを仕掛けて来るのである。
 これは主人公も悩むところだろうが、メタフィクション的には、製作者もピンチである。
 せっかく感動を引き起こした(9)のテーマが台無しになってしまうのだから。
 …まあ、自分でやっているのだけれど。
 とにかく、ここで引っかかってしまい、これ以降の部分が納得できなかった場合は「2期はよかったけど映画は駄目だった」という感想になってしまうだろう。

 実際、そういう感想も見かけはするが、筆者としては、この後で逆転の奇跡が行われたのだと解釈したい。

 それは…(9)の理由部分に(最初のものを残したまま)
「限られた時間の中で仲間と一緒に精一杯頑張り楽しむことが素敵だから」
ということを追加することで達成されたのである。
(以後、この文は「限られた時間が素敵だから」と省略表記する。)
 このことにより、(9)のテーマは次のように改変され、(一応) 無事、防衛成立となる。

  • (9')「限られた時間が素敵だから」そして「9人であることが大切だから」「μ'sを活動停止する」ことをテーマとする


 そして、ここからが重要なことなのだが、この「限られた時間が素敵だから」が与えられた瞬間に、オセロのコマがまとめて引っくり返る瞬間のように、過去の様々な要素から「何でもいいが」が抜けて「必然」となり、迷走し分断されていた要素が一つの大きな流れの中に結合するのである。

  • (7')「限られた時間が素敵だから」、「廃校阻止」を目標とする
  • (8')「限られた時間が素敵だから」、「ラブライブ優勝」を目標とする

 そして、映画の一番最後に、冒頭の
「The School Idol Movie」
を僅かに修正した
「LoveLive! School Idol Project」
のタイトルが表示された瞬間、映画としてすべての(展開上の) 物語が終わると同時に、作品としてすべての(テーマとしての) 物語が生まれるのである。企画の根本たる(6)を次のように改変して。

  • (6')「限られた時間が素敵だから」「スクールアイドル」という概念を提唱する

 そう、「ラブライブ!」とはそれをテーマと「し続けていた」物語「だった」ことになったのである。


 物語の創発である。

終りに

 実は、前節の文章の流れ自体が、物語内の始まりから終わりまでの流れ、そして、企画の成立から作品の完成までの流れ、に似た形になっているような気がする。

 この作品の魅力は、かようにメタフィクション的な構造にあるところにあり、それゆえ、誰もが同じように評価することが困難になるのではないだろうか。

 素朴には、例えば、最初から(6)ではなく(6')を用いて企画を開始していたのなら、より洗練された作品になっていたようにも思え、現在この作品に不満を持っていた人も納得できていたかのようにも思える。実際、テーマ自体は単純で普遍的であるため(だからこそ強度があるのだが) 、それをある程度意図していたが、わかりやすく表現できていなかっただけの可能性もある。
 だが、本当にそうなのだろうか? テーマが曖昧なまま、時に方向性を変えながら走り続けて映画に到達してついにテーマを見つけた作品の成立過程こそが、作品内の登場人物の生き方と共鳴し、感動を引き起こしているのではないだろうか?

 十分に整理しきれていない部分もあるかと思うが、この評論が「なぜ素晴らしい物語があると言われるのか納得できない人」「なぜ物語がないと言われるのか納得できない人」双方の方のために少しでもお役にできたら幸いである。

 なお、この論では、話を明快にするために、テーマを構造の要であるメイン一つに絞り、並列して存在するサブテーマについては意図的に省略させて頂いた。
 後日、長いものもあれば短いものもあるが、大よそ下記のような論題で別途分析を進めて行くことを予定している。

  • 最後の最後にようやく与えられた祝福〜高坂 穂乃果の物語〜(仮)
  • A-RISEとの間より深い主人公との断絶とすべてを繋ぐ共感〜絢瀬 絵里と去りゆく者たちの物語〜(仮)
  • すべてが終わったその後に〜星空 凛と残された者たちの物語〜(仮)
  • ラブライブ! サンシャイン!!について(仮)
  • 映画から始める「ラブライブ!」の楽しみ方(仮)

 予定は予定なので変更する場合もあるが、とにかく、まずはここで筆を置かせて頂こうかと思う。


 アイディアの元を与えて下さったすべての人に感謝します。