評論の楽しみ方

評論は、時に、敵意や警戒をもって見られることがある気がする。
その理由は、評論を「真実を暴くもの」と買い被ることにあるのではないだろうか。
もしそうであるならば、確かにその真実が自分と相いれないものであるときには脅威である。
しかし、そうであるならば、むしろ評論は無力である。
評論は何物をも変革も創造もできないということになるのだから。


評論がもっとも面白いのは、「新たな視点を与える」ときではないかと思う。
だから、評論はもっと気楽に読み飛ばし、楽しんでいいものだと思う。